2020年7月27日月曜日

【Daily Open Windows】7月27日

七月二十七日

やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。(イザヤ九・二)

この大きな光が私たちの上に射し込むことのすばらしさはどうでしょう。この光が、どれだけ私たちを高め、私たちを栄光で満たし、霊的な光が射し込む時、どれほど、私たちの将来は違って見えることでしょう。それは、これまで、天にも地にもなかった光、上から来る主の光です。そして、主イエス様はこの神の光の総体です。主は光です。ただ、私たちの目が開かれて、主イエス様の存在の大きさに気がついていたら、どれほど大きな違いが生まれるでしょう。私たちは、完全に解放されていたはずです。必要なこととは、すなわち、神の御子を、光そのものであるがゆえに、光を与える神聖な特権を内に授かっているお方としてみることです。暗闇に覆われた私たちの人生の一場面に現れ、その暗闇を追い払うのが、主のされることです。これこそ、主の栄光であり、あなたが神の御子の栄光を知ることができ、主を礼拝することができるのも、あなたの目が開かれたからに他なりません。


主は、ここにおられます。復活であり、いのちそのものである主は、終わりの日だけではなく、何時、どんなときも復活であられます――マルタが言ったことを覚えているでしょう、『私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。』これに対して、主は、次のような意味のことを言われています、『やめなさい、わたしは復活であり、いのちそのものであり、そのわたしがここにいるからには、復活について言えば、今日が終わりの日でもあるのです。わたしがここにいるからには、時間には意味がなく。その時は、今でもよいのです!』ですから、主がここにおられる以上、今この時、新しい創造の光が当てられて、新しい創造が起こるかもしれません。いつの日か、光が当てられるのではなく今、輝かしい外からの働きかけによってです。世界が創られる前から、イエス・キリストが御父とともに持っていた栄光、御子の栄光とは、すなわち、主お一人だけが、光をもたらす、この神聖なる特権、権利、力、そして、能力を持っておられるということです。他の誰も、この光を与えることはできません。この光に、自分から到達することは、誰にもできません。この光とは、主の賜物であり、主の行動のことです。これこそが、主の栄光なのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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