2020年7月24日金曜日

【Daily Open Windows】7月24日

七月二十四日

<神以外のものを愛し、また崇拝する>どのような偶像礼拝も避けなさい<きっぱりと離れなさい、必要ならば逃げ出して避けなさい>(第一コリント十・十四、詳訳聖書)

無害なだけでなく、それ自体は良い性質を持つものでありながら、主ご自身に置き換わるように用いられてきたものは数多くあり、このために、主に献身しようという気持ちにを持つ人の中でさえ、良いものが偶像礼拝の原理を具体化してしまうことがあります。キリスト教徒たち、または、キリスト教の団体に触れてみて、それから、その手を主ご自身よりも大きなものにまで伸ばしてみてください。そうすれば、主ご自身の計りが増し加わる可能性に対して、人を完全に盲目にしてしまうその団体を妬む気持ちが湧き上がってくるはずです。あなたも、宗派、伝道活動、キリスト者の働きの一端に専念しすぎるあまり、その上に主の計りが加わる余地がなくなってしまうことがあります。そのこと自体が目標点、生きる目的となってしまったため、本当にご自身から来るものに動き始めて欲しいと、主があなたに望んでも、その良いキリスト者としての働き、集会、団体、伝統、人間関係といったものが障害となってしまいます。そう、これは、原理的には偶像崇拝であり、歴史を見ればわかるように、それ自体はよいものを、主がその上に一撃をふるって、打ち倒さなければならないということが繰り返されてきたのであり、それは、主の民、一人ひとりをご自身へと救い出すためでした。・・・・


主が求めておられることとは何でしょう?主が、人の生涯の明確な目的に定めようと求めているのは主ご自身であって、主ご自身と関わりのある物事ではありません。そして、あらためて言いますが、何かに手を触れるとき、たとえ、人々に主ご自身とともに歩んでほしいという思いを持って触れていても、そこであなたは、非常に激しい何かと向かい合うことになります。別の言い方をすれば、もし、主とともに進もうというあなたの問いかけが、それを聞いた人々には、このこと、あのこと、他の何かから離れるように命じていると受け止められたら、そこにいさかいが生じます。これは、偶像崇拝を広めようという作戦を休みなく進めているサタンが、キリスト者たちのあいだに足がかりを得たことの現われであり、これは、それ自体は悪いものではなくても、主ご自身を置き換えようとする何ごとかを介して行われたのです。そして、霊的に鋭敏であれば気づくでしょうが、あなたが対峙しているのは、ただ、世に認められた制度ではなく、恐ろしい霊的な勢力なのです。本当にそうでしょうか?間違いありません。私自身も、もしこの力と遭遇してこなかったら、あなたが主に奉仕する中で触れるキリスト教団体の背後に、この恐ろしい勢力が存在していることを信じなかったでしょう。あなたも、何かに遭遇して、心を向けることがありますが、それはただのものや人々ではありません。それは、あなたの人生そのものを脅かし、死にまで至らしようとする何かであり、そして、愛する皆さん、これが原理的、本質的に偶像崇拝なのです。なぜなら、それによって、究極的には、主でさえ、御心を傾けた目的を果たすことができなくなり、また、主のものに心を縛られている民を、ご自身が望む場所に霊的に導くこともかなわなくなくなるからです。この民は、主のものごとと、主ご自身を区別することができないのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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