2020年7月22日水曜日

【Daily Open Windows】7月22日

七月二十二日

このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」(ヨハネ五・十六~十七)

主イエス様についての本物の知識は、私たちの考えや働きの手順のほとんどを、完全にくつがえすことになります。キリストについての真の知識と、キリストとの結びつきは、そこから生まれるすべてのことと相まって、それまで慣例的に行ってきたやり方とは全く反対のかたちで、私たちを働きに着かせます。私たちが主のために何をするかということではなく、主が私たちを通して何をするかということが、すべてを決めるという、この考え方に支配される者となってゆきます。この生き方には大きな試みが伴います。同じ道を通ったことがない人にはとても信じられないでしょう。敵は激しく、苛烈に、休むことなく戦い、あなたを惑わせて、低いところと引き込み、そして、神のために再び何かを立ち上げて、自分で考えた構想のもとに、大きな事業に着手し、地上で目に見えるものを建て上げさせようと仕向けるのです。この目に見えるものだけを基準とする考えに縛られている人たちは、いつもこう言ってきたのです、『ほら、あなたは何もしていないではないか!自分がやっていることを見せてみなさい!このことで、人に見せられることなんて、ひとつもないでしょう!』サタンはこのような手を使って働きかけてきます。肉にとっては、これはとても辛いことです。神とともに進みながら、そのことを示すものが何もないこと、紙面に書き記してもらえるような働きを一度もしていなし、また、公けにできる報告も記録も何ひとつないこと、それでいて、心の奥底では、表には現れなくても、そこで何かが起こっていて、自分には今、していることしかできないと知っていること、これは、肉にとって安楽とはとても言えない、苦しい道です。


それは試練の道です。しかし、神を賛美しましょう。私たちが本当にこの試練に耐えて、神とともに辛抱強く進めば、いつか、神のときが来て、肉にはついに低くされ、もはや響かない生来の欲望の声に動かされることもなくなります。そして、そのとき、私たちは、主のものとなるのでなければ、何一つ存在できない、そのような場所にしっかりと立ち、そこでは、主には自由に進む道があって、これまで常に、何か意味のある働きが続けられてきたことを明らかにしてくれます。主は、ご自身がこれまでも働いてきたこと、そして、時が来れば、神の働きが明白に現されることを示してくれます。その働きは、霊的な価値と意味が非常に大きな割合を占めているので、あなたも、自分が神の働きの中で、人ではなく、神とともに歩いていたことを知って嬉しくなるはずです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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