2020年7月6日月曜日

【Daily Open Windows】7月6日

七月六日

イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」(ヨハネ八・五十八)

広い範囲に及ぶことがらを、短い語句にまとめる主の能力は驚くべきものです。主は、人間に必要なものを全て把握し、心の叫びのひとつひとつに、単語ふたつだけの簡単な文章で答えます、『わたしはいる(I am)。』復活、主にあるいのち、何かが起こること、充足、意識、感動、動き、活力、『なにか』を求めて、私は泣き叫びます。それに対して、主の答えは、『わたしは、どんなときも、私の思いの中では、どこにいても、よみがえりであり、いのちです。』ああ、この『どんなときも――どこでも』という事実により頼み、主のゆえに、私たちは生きていけます!主は私たちを、外へと拡がっていく教訓、経験、そして、教えから遠ざけます。このような経路は多くの害を及ぼしてきました。


神の民は、多くの群れに分かれています。大きい群れも小さい群れもあり、何かの理由、何かの経験、何かの真実に応じて分かれ、このために、すべてを包み込み、すべてを結びつける現実が失われます。その後で今度は、その理由、経験、そして、真実とともに、主に向かいます。『その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。』『あなたには分からないのですか?あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。』心の中に、神が照らされる光が射しこむと、あなたには、ずっと前から知っていたものが見えるようになります。それができるのは、主だけです。これが、尋ね求めるべき方向です。主が、私たちの心をその方向に定めたのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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