十一月三十日
バプテスマのヨハネの日以来今日まで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。(マタイ十一・十二)
天の御国とは、人の改心よりも、ずっと大きなものです。もちろん、あなたに救われたいという気持ちがあるなら――初めて、救いを受け入れたいなら――真剣にそれに向かい合わなくてはなりません。これは、必死で取り組むべき問題です。あなたをとどめようとする者が、至るところに現れるからです。しかし、天の御国とは、ただそこに入ることよりずっと大きな何か、回心よりもはるかに大きなものを意味します。私たちの人生に対する神の目的には、私たちが想像して来たことより、ずっと多くのものがあり、私たちがそこに踏み込もうとすれば、激しく攻める力が私たちの特徴となります。私たちは、必死の気持ちで取り組んで、こう言える境地に達しなければなりません、『主よ、私はあなたがキリストにおいて成そうとしている全てに対する備えができています。私には、それを受け入れる決意があり、偏見、疑い、批判がどれだけ強くても、気持ちは変わりません。人間が作ったどのような制度も自分が進む道を妨げません。私は主であるあなたの目的を果たすために、ともに進みます。行く手をふさぐどのような相手も、私は激しく攻めます。』そこには、激しく攻めることが求められます。そして、神が望むことをすべて為すためには、何度も激しく攻めなければなりません。