2020年12月10日木曜日

【Daily Open Windows】12月10日

十二月十日

もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみのです。(第一コリント十二・二十六)

しかし、これは地上のことではありません。私が多くの苦しみを受けても、この世での生活の上のことであれば、あなたはそのことに気づきもせず、影響も受けないかもしれません。しかし、愛するみなさん、一人が霊的に苦しむとき、そのみ体全体が同じ苦しみを受ける、そのような世界もあるのです。ここから分かるのは、このみ体とは天的なものであること、各部分のつながりは自然のものではなく、霊的であること、そして、各部分を結び合わせる御霊の力が、自然の見識の及ばないところで働いているということです。・・・・

このすべてを動かしているものが何か分かれば、私たちのつながりを高い水準に保つ動機が何か、あなたにも分かってくるでしょう。み体の各部分のつながりの中に、様々な重圧、誤解、感情の行き違い、互いへの悪感情や怒り、真実の愛の断絶が割り込んで来るとき、私たちの反応として、ただ、それが悲しく不幸な出来事だと嘆いて、うまく取り繕おうとするだけでは十分ではなく、私たちがそこで取るべき態度は次のようなものです。今、ここで、霊的な知性の世界に入り込んできたものが、キリストの栄光に逆らって働いており、これは、かしらとしての主の働きを妨げている。なぜなら、互いにつながっているみ体の全ての部分は、このかしらなる主と、しっかり結びついているからだ。これは、み体全体を結び合わせる力である御霊に対抗するもので、私たちを傷つけている。私たちはどんな時も、他の全ての部分と聖霊によって密接につながっているのだから、ある部分が行うことは、私たちの理解や知覚を越えて、必ずキリストにふれ、聖霊にふれ、そして、他の全ての部分にもふれることになるのだ。実際に、この通りに行われています。

これこそが、啓示であり、御体の性質です。私たちがなぜ、この各部分のつながりに目を向け、そのつながりを地上から高く引き上げるべきなのか、その理由はお分かりでしょう。これはもっと真剣に考えるべきことがらだと、私は思います。相互依存が、キリストの御体をつかさどる法です。互いの助け合いが、かしらなる主を堅く守ります。そして、このみ体を、自分と同じ高さでひとつにまとめておこうとしないように注意しましょう。このようなことをしてはいけません。そこには希望がなく、私たちは、いつも、あたりを駆け回って、言い訳ばかりすることになります。同じ高さにあってはできないことですが、かしらなる主を堅く保つことができれば、私たちは、お互いをしっかり引き寄せあっているはずです。私たちがキリストのいるべき場所を全て完全に明け渡していたら、他の信者と対立したままでいることはありません。私たちが、全てを主に向けて、全てを主のために、全てを主に捧げて行うためには、キリストが御自身の場所を占めていなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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