2020年12月8日火曜日

【Daily Open Windows】12月8日

十二月八日

神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。(ヘブル八・十三)

このヘブル人への手紙は、神が御子、イエス・キリストを、この世界に送った時に行った革命、または、再構築――この世の全てを包み込む、宗教的な革命――について語っています。この革命は、ユダヤ教には拒絶され、また、使徒の時代以来、キリスト教徒の世界からも、ほとんど完全に見過ごされ、見落とされてきました。もし、この手紙の意味が、御霊の力における天からの啓示と受け取られていたら、現代、広く受け入れられているキリスト教の制度は存在できなかったはずです。すなわち、もし、この手紙の意味が、使徒パウロが『ナザレのイエス』とは誰かを知るようになったときのように、御霊の力によって、啓示という働きをもって、心の中に入っていたら、キリスト的ユダヤ教、あるいは、ユダヤ的キリスト教(今のキリスト教世界は大いにこのようなものとなっていますが)などあり得ないのです。パウロ自身の場合がそうでした。ヘブル人への手紙とは、ローマ人とガラテヤ人への手紙の中で繰り広げられた闘いの別の側面に過ぎません。

霊的な意味で目を開かせるこの光の中で、実に多くのことが失われます。しかし、それは、『天からの啓示』ですから、そこには、涙はなく、喪失感もなく、また、愛の中の別れもないはずです。新しいものを得たよろこびによって、そこで失われるものは、くたびれ切って、誰も欲しがらない古着のようになってしまうでしょう。ここで、私たちの心に浮かぶのは、これらのことがらが存在する前から知られていた、霊的な生活の全盛期のことだけです。このようなものが入り込んできたのは、御霊の豊かさが消えていった後であり、人手による代用品に過ぎないものは、神の目的の世界においては、何かを制限することにしかなりません。それでいて、これらのことが、伝統的で組織化されたキリスト教の本質となってきたのです!このようなわけで、そこに手を伸ばして、その存在を脅かすようなことをすると、この世界でもっとも過酷で手強い迫害を受けることになります。これは、軽い気持ちで言っているのではありません。宗教は、非常に恐ろしい勢力となり得るし、実際にそうなっています。そして、キリスト教は宗教となったのです。自分たちが活動しているところに、他のキリスト者の組織が入ってきて、競争相手になったとき、その相手を迫害、排斥しようとする傾向や性質を持たないキリスト者の団体はほとんどありません――もっとも福音的で霊的な人たちであっても同じです。・・・・『神は・・・・この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。』しかし、新しい時代と新しい秩序が、これまでになかったほど大きな対立を、新たに生み出してしまったのです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: