2020年12月9日水曜日

【Daily Open Windows】12月9日

十二月九日

「あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」(マタイ十三・五十一、五十二)

あなたの心は主に向けられていますか?神の御国を求める心を持っていますか?それは本当に、心の大きな部分を占めているでしょうか?主は言われます。あなたに、本当の心があれば、霊的な理解を得ることができると。・・・・主に逆らう気持ちのない、良い心を持った人たちがいます。『私に、主の御言葉は与えられないだろう』と語る人たちではありません。この人々は主に応え、その応えは彼らの心から出てきます。しかし、良い人々の中にも、妨げとなる者もいます。とても良い人たちの中にも、こんなことを言う人がいます、『さて、自分のすべてを主に捧げようという気持ちでいたら、友人たちは私をどう思うだろう?教会の人たちは、私について何を言うだろうか?それから、仕事の上での私の立場も、影響を受けるだろう。よく気を付けなければいけない。他の人たちに対する影響力が損なわれるのは困る。他の人がどう思い、どう言うようになるか、よく考えておかなければならない。そう、委員会も私にそう期待している。自分の全てを主に捧げれば、委員会も腹を立てるだろう。おそらく、辞めるように言ってくる。』私の言いたいことが分かりますか?とても良い人たちではあっても、この世的な考え方の影響を受けているのです。

以前、ある男性と話したのですが、この人は私の言いたいことを理解してくれました。そして、話し終えたとき、彼はこう言いました。『そうですね、スパークスさん、まさにあなたの言う通りです。あなたに全く同意します。しかし、あなたが進んでいる道を私も行こうとすれば、友人たちを皆、怒らせることになりますね。そして、主のための働きに対しても、彼らは金銭面で私を支えることを辞めてしまうと思います。ですから、私は仲間たちのことと、主のための働きのことを考慮せざるを得ません。』とても善良な人たち、心の全てを主に捧げている人たちです。主を愛していることには何の疑いもありませんが、彼らは、このように妨げとなってしまいます。旧約聖書に書かれているカレブの霊はこうではなく、完全に主に従っていました。・・・・

あえて言いますが、あなたは、このすべてを理解できていますか?霊的な理解のことで、語りたいことはもっとたくさんあります。しかし、ああ、見る目、語られたことや行われたことの裏に何があるかを見る目、そして、主の言われることの意味を見抜く目を持つことは、何と大切なのでしょう。あの良い人々とは、主のことばを聞き、主の働きを見ながら、その意味は理解していなかったのです。そして、彼らは多くを失いました。霊的な理解を与えてくださるよう、主にお願いしてください。そして、理解できなくても、『私には分からない』と、言ってはいけません。主の御許へ赴いて、こう言ってください、『主よ、私に理解させてください。私の心の目を開いてください。』あなたが真摯に主を求める心を持っていることが示され、そして、あなたが真剣に主を求めていれば、主も、誠実にあなたと向かい合ってくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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