2020年12月15日火曜日

【Daily Open Windows】12月15日

十二月十五日

堅い食物はおとなの物であって、経験によって良い物と悪い物とを見分ける感覚を訓練された人たちの物です。(ヘブル五・十四)

人の肉体は生まれつき、五感を備えています。私たちには視覚、聴覚、臭覚、味覚、そして、触覚が備わっています。これが、私たちの肉体が生まれた時から持っている五感です。しかし、私たちの中には、『隠れた心の人』と呼ぶべきものもあって、その内なる人間も、外側の人の五感に当たるものを持っています。そこには、霊的な視覚、霊的な聴覚、霊的な嗅覚や感覚、霊的な味覚、そして、霊的な触覚が備わっており、これらの感覚は、内なる人の生活にとって非常に大切なものです――そう、肉体が持つ感覚よりもずっと大切です。肉体が持つ五つの感覚のどれかひとつでも失った人の辛さを、私たちはよく知っています。その損失は非常に大きなもので、不完全な人生、制限だらけの暮らしを強いられます。しかし、これは内なる人にあっても、まったく同じことです。霊的な視力を持たないことは、悲劇的な損失であり、大きな制限を受けますし、霊的な聴力を失えば、御霊に応える力もなくなります――『耳のある者は御霊が言われることを聞きなさい』と言われるとおりです。もし、聴く能力がまったくなければ、それは絶望的な状況と言えます。感覚――臭覚で言えば、匂いを即座に嗅ぎ分ける能力――が全くなくなれば、どれだけのものが失われるでしょう。

これまで、異端や過ちや不正を嗅ぎつけようという絶え間ない試みの中で、この臭覚は間違って用いられてきましたが、霊的な嗅覚という能力は確かにあり、これは非常に大切なものです。次の文は、主について、この感覚のことを語っていると思います――『この方は主を恐れることを喜ぶ(その香りは主への恐れの中にある)』(イザヤ十一・三)――すなわち、嗅ぎ付けるのに敏く、しかも、主が欲していたものを、正確に嗅ぎ分けることです。そして、これは主の天的な生活において、全くの真実でした。つまり、誰が敵なのか、その敵が何をしようとしているのかを嗅ぎ付け、また、御父が何を求めていたのか、もはやそれを求めていないことを嗅ぎ分ける力が、主を大いに助けました。すばやく、嗅ぎ分けられることは非常に大切です。これは、味覚、触覚についても同じことです――手をふれること、また、ふれたものを心にとどめることが大切です。これこそが、本物の内なる人のすがたであり、この感覚が、霊的な能力の基礎となるものです。この感覚は、実際に働かせ、『それを通して』成長し、強くなってゆくべきものです。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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