2020年12月23日水曜日

【Daily Open Windows】12月23日

十二月二十三日

事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。(ヘブル十一・十六)

神の働きの兆候は、いつでも初めから人の目にとまるわけではありませんが、主とともに進んでいれば、その場限りで一時的なものの多くが、後に取り残される――取り残さればならない――ことに、気づくようになります。霊的で天的なものは、より大きな場所を求めて進み続け、そして、神の道具として用いられ、また、働きに召される者たちの生活に欠かせないものへと変わっています。自ずとこのようになり、このようなことが必ず起こります。私たちは、目を覚ますと、自分が新しい世界、新しい位置へと移動したこと、そして、地上に置かれた備えがどれだけ加えられても、必要を満たせないことに気づきます。もっと多くのものが必要とされているだけではなく、全く違う何かが求められています。これは、危険な局面であり、神の究極の目的を示す幻がなければ、安全に切り抜けることはできません。そのためには、霊的なるものに捧げられた心、天的なものを掴む能力が求められます。ひとつの世界が砕け散っても、完全で最終的な説明が必ず与えられます。

実に哀れなことには、多くの人たちが、ただ、古い枠組みや示される幻の一部分のみにしがみつこうとします。神は、ご自身の天的な在り方の模範を、より完全なかたちで現され、その模範に自分を合わせることを要求されます。神がこの要求をされるのは、やがて来る差し迫った日、神が見せるこの幻だけが救いとなる日のことを、最初から知っておられるからです。しかし、『革新的』すぎる、また、『これまでの神の祝福の中には』なかった、などなどの理由で、人はこの要求を拒絶し、気にもかけません。こうして、予見された日が来ると、この船を救うための、あらゆる手段を試みなければなりません。・・・・神は決して、何かを小さくしたり、限定することを目的として動いてはおられません。そう見えることはあっても、本当にそのようなことはされません。主が示される幻を、私たちが本当に見ていれば、切り捨てられ、押し縮められているように見えるものこそが、主が何かを成長させる道であり、それは、霊的、天的な成長であることが現れているはずです。・・・・主権者である神は、それまでご自身が足場や枠組みとして用いてきた多くのものを、粉々に打ち砕く危険をあえて冒され、または、それ許されますが、これはより大きな目的を実現されるためです。間違っていたからではなく、主は、もっと大きなものを求めておられるからです。神が、伝道の旅という務めからパウロを解き、牢獄に閉じ込めたことを、いつまでも感謝しましょう。このことによって、『天的』で『永遠』であることを示す、完全で輝かしい幻と啓示が与えられて、この世の一時的な思いを、全て覆い隠したのです。パウロの投獄には、大きな価値があり、悲劇などではありません!聖霊は、いわば、神の完全な目的の管理人であり、その支配の下で、教会と個々の信者は、これからも前へと進み、上へと昇り続けます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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