2020年12月20日日曜日

【Daily Open Windows】12月20日

十二月二十日

わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。(マタイ 二十八・十八、十九)

ここで、行くというのは誰のことでしょうか?それは、教会のことであり、主の教会の最小限の核となれるのは二人からです。これは、集会をどう作るか、御体の大切さを全ての人に表すにはどうするかという問題です。御霊が動いているとき、そこでは、まさしく、復活し、昇天して、高く上げられたキリストが、御体なる教会を通して、はたらきを続けており、あらゆる制約が取り除かれています。これは驚くべきことです!すべてが真実であるか、あるいは、全く真実ではないかのどちらかです。真実だとしたら、これは驚くべきことです。もし、真実でなければ、私たちは全くの愚か者ということになります!しかし、これは真実であり、そして、ああ、主の教会が、復活したキリストとの生きた一致の中にあることの意味を、いっそう深く学ぶべきです!そのためには、二、三人、または、もっと多くからなる群れが必要であり、地上の肉体には、時間的、空間的な制限があっても、この群れは、聖霊の中で求められるはたらきを続けなければならないのであり、その目的は、普遍的な存在であるキリスト――キリストが神の右にあることの大きな意義――が、現されることです!御霊によってこのことがあなたの心に入り、あなたがその意味を理解してくれるよう、私は神にお願いします。それが、あなたを大きく変えることになるからです!このことを正しく理解するためには、さらに長い道のりを行かなければなりません。しかし、これは真実なのです!

このことについて語ろうとしても、人間の言葉はあまりに弱く、表現力が足りません。『神のすぐれた力がどのように偉大なものであるか』――この世界では、至上の力です!ああ、主の人としての生涯、死、復活の中に、キリストのすばらしさを、いつも新しい気持ちで見出し、この思いが大きくなって行きますように!こういうわけで、新約聖書に示されるもっとも大切な事実は、真に霊的な土台に立って、教会が復活したキリストに対応しているということです。これは、私たちが考える、地上の『教会』のことではありません。地上の教会は、このようなものではないからです。しかし、教会に関する神の考えとは、実現できないほど難しいものではなく、ただの理想でもありません。それは、きわめて実践的です。素直でへりくだった二人の聖徒、この世ではどこにでもいるような二人が、御霊において真にひとつになれば、この天と地のすべての権威を委ねられた主のために働く道具となるのです。この二人と一緒なら、古い制約はすべて取り去られ、この地上の端々に至るまで、直ちに手を伸ばすことができます。あなたは、これを信じますか?私たちが復活したキリストをあがめるとは、まさにこのような意味です。それは、感情的なことにとどまらず、また、大仰な教理を超えるものでなければなりません。そう、事実と認めるだけであってはいけません。・・・・私たちが、実際に、復活して御座に着かれた主とひとつになっているといれば、それは何よりも大きな影響を、世界中に与えることになります。本当にそのとおりでありますように!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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