2020年12月31日木曜日

【Daily Open Windows】12月31日

十二月三十一日

まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。(ヨハネ一・五十一)

よみがえりのキリストが意味するものは、開かれた天です。油注ぎの御霊が私たちの上にのぞむのは、十字架にかけられた方がよみがえるからです。御霊は、神の御子が私たちのために開いた天を出て、私たちのところに来ます。・・・・主イエスは言われました、『その方、・・・・御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。』そして、ヨハネは、このことばを裏付けています、『キリストから受けた注ぎの油が・・・すべてのことについてあなたがたを教えるのです。』上り下りする御使いたちが、これを象徴しています。私たちが交流しているのは御霊ですが、キリストは地から天へと届くはしごです。このはしごはどこにあるのでしょう?この世ではありません。このはしごは、私たちの心の中にかけられています。それは、私たちの心の中にいるキリストです。天から私たちの心へと開かれた道があり、キリストご自身が、私たちを神の臨在のただなかへと導いています。御霊は、キリストとのつながりの中で動き、キリストが御父との交わりの中におられるように、私たちをキリストとの交わりへと導きます。

すべてを満足させるキリストの力は、このことによって、確かなものとなります。キリストが私たちの中におられるからこそ、私たちは天にいます。主ご自身につながれば、限界は無くなります。そこには、直接的で遮るもののない神との交わりがあり、聖霊が私たちに天的なものを示してくれます。私たちは、これによって、キリストにあって、全てを神から受けるとはどういうことかを理解できます。キリストが私たちの中におられるとき、そこには、内なる神の知識、神との心のつながりが生まれます。それは、神から来る内なるいのちであり、内側に宿る神の力です。しかし、これはこの世が知らず、理解もできないほど不思議なことです。私たち人間と同じ制限を受ける生活の基盤を、罪のない主イエス様が進んで受け入れられたことを、世は理解できません。とは言え、み父との交わりの中で、主はいつもこの制限を打ち破り、制限を克服して、み父のみからすべて備え、すべての完全さを引き出されました。主の完全さは、み父のうちにありました。

こうして、私たちは、御霊によって、自分の弱さの全てに勝利する人生、キリストが全てである人生、また、主の勝利が私たちの勝利である人生を生きるように召されました。十字架の御業は完成されました。覆いは引き裂かれました。道は開けました。ですから、天に昇られたキリストは、天が私たちに対して開かれ、そこでは、どんなこともキリストにあって可能であり、私たちが主を褒めたたえてよいことを意味しています!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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