2020年12月24日木曜日

【Daily Open Windows】12月24日

十二月二十四日

私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。(ガラテヤ一・十一、十二)

私は、パウロはどう思うだろうと考えてしまいます・・・・もし、彼が、今、この世界に帰ってきて、これまで何世紀にも渡って彼の手紙について書かれてきた文献、真理と教義の体系、パウロが啓示を受けて語ったことばの上に人間が作り上げた驚くべき教会組織を見渡したら、パウロはいったい、何を言うでしょうか。彼はあっけにとられて、こう言うのではないかと思います、『なんと、彼らは、私が言ったことばをもとに、これを作りあげたというのか!こんなものが、生み出されたとは!』自分の教えが、どこにあるのか、彼には分からないかもしれません。それが、自分が言ったことを正しく実現していると言えるのか、パウロは疑わしく感じるに違いないと思います。これはただ、仮定の上の質問として挙げているのですが、それでも、じっくり考えるべき問題としておきたいと思います。

真実を体系化しようとすれば、そこには、制約、死を吹き込む形式が生まれるのではないでしょうか?新約聖書が扱う主題は、私たちの型に当てはめるには、あまりにも壮大なものです。主イエスの十字架を系統的にまとめることなどできません。あなたにできるのは、ただ、ひざまずいて、伏し拝み、自分の力で把握できる限界をはるかに超えるものを見ていることを認めることだけです。そうせずに、それを、系統的に整理した真理という箱に詰めこんだとき、あなたは、この事実を、神の永遠なる次元から引き下ろし、その力を奪い、そうすることによって、死の領域へと移動させてしまったのです。人としてのキリスト、また、キリストの復活――新約聖書に語られた偉大な主題のどれをとっても――全ての断片をひとつに集めて、ご立派なかたちで整理、体系化し、手引書、教科書としてまとめた時、あなたは、その主題を殺してしまったのです。・・・・

主イエスが来られ、律法に対する解き明かしをご自身の内に示され、律法の上に光を当てたのですが、その光は当時の人々の制度の範囲内に収まるものではなかったため、その律法制度の中に、主が入る場所はなく、神ご自身の法が入る余地もなかったのです。神のための場所を開けなければなりません!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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