2020年12月18日金曜日

【Daily Open Windows】12月18日

十二月十八日

天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち。・・・イエスのことを考えなさい。(ヘブル三・一)

この天の召しとは、決して後ろ向きではないし、あいまいでも、受け身でもなく、常に、前向きなものです。あなたの日常生活に、前向きな召しの現われと思えるようなものは、見られないかもしれません。毎朝、働きに出かけて、ほとんど代わり映えのしない毎日を送りながら、同じ仕事、つまらない日常、決まり切った日課を片付ける日々を送っているのかもしれません。その生活とは、来る日も来る日も、何週にも、何カ月にもわたって、同じことの繰り返しです。同じ人たち、同じ環境、同じような行動ばかりです。この日々の生活の中に、格別におもしろい出来事など、滅多に起こりません。このような状況の中では、誰でも、こんなふうに言いたくなるでしょう、『やれやれ、毎日を過ごしているこの世界では、華やかな天からの召しなど、起こりそうもないなあ!私の仕事は単調で、誰でもできるものだ。こんなことを毎日、続けているばかりで、これからも大して、変わりそうにない。』どんな時も、どのような状況でも、天からの召しは前向きなものであることを忘れないでください。

日々の生活の中に、霊的な向上を学ぶ機会が与えられています。それは、何かの出来事を通して、自分と主との関係をより価値あるものとし、試練をキリストにある助けに変え、恵みの中で成長して、勝利を知ることができる状況です。しかし、こんな退屈きわまりない、見込みがあるとも思えない世界に生きていながら、信仰、がまん強さ、あるいは、忍耐といった大きなことがらについて、試されていることを知るには、どうしたらいいのでしょう?主の御座が何からできているのかを知ることができたら、きっと、とても興味深いことでしょう。その御座に至るとき、私たちが見る御座は、文字通り、黄金か、それとも、いろいろなものが集まってできているか、どちらでしょうか?御座とはどのようなものか、深く考え始めるとき、それががまん強さ、信仰、忍耐など、多くの精神的な要素から出来上がっていること、そして、このような要素が集まって、すべてを支配される主の力を作り上げていることに気づくのかもしれません。御座にともに着くと言うことは、イエス・キリストの忍耐をも共有すると言うことです。イエスのがまん強さ、イエス・キリストの信仰、忍耐の全てが完遂されるところには、とても強い力が存在します。こういったものが、主の御座を成しています。この単調でつまらない毎日の生活の中でも、主は今、御座をかたち作る材料を私たちの中に積み上げています。あなたは、この御座に向かうために、試されているのかも知れません。この退屈でしかない日々の生活は、本物の主の意図と、深く結びついているのかもしれません。天の召しはいつでも、前向きなものであり、どんな状況でも、どこにあってもそれは変わらないことを覚えておきましょう。私たちは今、この時も、後から来る時も、御座が私たちを通して、はたらくことができるかということを試されています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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