2020年12月11日金曜日

【Daily Open Windows】12月11日

十二月十一日

天が支配する。(ダニエル四章二十六節)

天による支配こそが、今日、非常に強く求められています。しかし、それを行うのは聖霊であり、人間が作り上げた教会で私たちが見ているものは、天の支配とは違うという事実を認めなければなりません。神の霊的な民は、これまでよりもいっそう、キリスト教と教会、そして、聖職者というという古い制度から、自分が離れていると感じています。長いあいだ自分の足元を支える土台であったものに、多くの人が深い失望を感じ始め、霊的な真実を求める叫び声があげられています。巧妙で知的な力にあふれた説教はたくさんありますが、それが呼び起こすのは、霊に対する飢えです。多くの活動が行われていても、そこに霊的ないのちはなく、主は、真に天にあるもの性質を私たちに示そうとしているのではないかと思えます。人間が地上に引き降ろし、手に取って、かたちを与えたものは、天にあるものの貧相なまがい物に過ぎないのですが、この広い世界では、この戯画的に表された天国のすがたが受け入れられています。

人間は天にあるものに手をかけて、地上へと引きおろし、この世的なものに変えてしまいました。こうして、すべてはその始まりからおかしくなってしまいました。はじめには、あらゆるものが聖霊から来ていました。人々は自分の家でも、どこでも集いました。場所は、問題ではなかったのです。大切なのは、聖職ではありませんでした。そこにいたのは、主であり、人は主の周りに集まりました。しかし、いつしか、彼らはこんなふうに言い始めました、『私たちが集う建物がなければならない。』こうして、建築様式に注意が払われるようになり、いろいろなものが作り上げられて、それが、地上で人々の目を惹くものとなってゆきました。彼らは人を惹きつけようと試み、これが、次々と教会を覆う大きな危機の始まりとなりました。人から賞賛され、認められること、また、関心を惹くことを追い求めた結果として、教会には、いろいろな群集が混じり合うことになります。教会にたいそうな名前を付ければ、多くの人々が集まってきます。そして、悪魔がもっとよく使う手段のひとつが、教会を大衆化することだったのです。

こうして、本当に優れたものが失われてしまうため、生まれたままの人間にとって、教会とキリストは不可解なものとなり、生まれたままの人がその価値を認めることは、とても期待できなくなりました。教会は、本質的には、神の御心に沿った霊的なものであるはずです。全てを本当につかさどるのは、物事に対する神の捕らえ方であって、私たちの捕らえ方ではありません。そして、私たちが本当に、主とともに進もうとすれば、全てのもののあり方が根本的に変わり始め、私たちは、より一層、天的な立場からものごとを眺めるようになります。あなたたちも、天的な制度の中に入って、天的な結果を得るようになってください。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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