2020年12月25日金曜日

【Daily Open Windows】12月25日

十二月二十五日

神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。(エペソ一・三)

私たちの霊想の対象とは、『私たちの全てを満たしてくれる方として天におられるイエス・キリスト・・・・』につきます。主イエスが持つ備えは、この地上におられた時、父なる神から与えられたものです。主は、完全に神に依存した状態で生きることを選ばれました。これは、主が望まれたことです。主は、ご自身の中に何かを持つことを、完全に拒絶されました。必要なものは天にだけ求め、すべてを上から、受けられました。復活によって主と結びついているとき、私たちのために天におられる主と私たちを、御霊がひとつにしてくれます。これによって、主イエス様が生きるために用いたあらゆる備えを、私たちも使うことができるのです。この備えとは、隠された備えであって、世には知られていませんでした。主とともにいた人たちも、み力がどこから来ているのか、まったく分かっていませんでした。主とみ父のあいだには隠された関係があり、それが彼らの心を捕らえました。彼らは、主のいのちの背景に何かがあることに気づいたのですが、この不思議な力と知識は、普通の人間ではあり得ないものでした。主には、他の誰も持っていないたくさんの得物があって、思うがままに用いることがでたのです。人間の理解をはるかに超える知識を、主は持っておられました。そして、主が隠された生活、み父にある生活をしていたため、主の持っていた力は、人間には不思議で驚くべきものでした。

御霊によって、イエス・キリストとの天なる一致のうちに生きているなら、同じ力を、私たちも思うがままに使うことができます。私たちの霊想の根本にあるこのみ言葉を、あらためて心に刻みましょう、『私たちの主イエス・キリストの父なる神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。』これは、キリストにあるすべての備えを、私たちも利用できることを意味しています。しかし、人として地上で生きた主が、み父との交わりの中に生きたのと同じように、私たちも、主との近しい交わりの中に生きることを学ばなければなりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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