2020年12月16日水曜日

【Daily Open Windows】12月16日

十二月十六日

まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。(ヨハネ三・三)

私たちが神の子供であり、キリストの苦難から生まれた霊的な子供であることは、非常に綿密に定められたことです。それは、キリスト者の生活に、または、特定の高さや深さに達した者たちに対して、添え物のように付け加えられるものではありません。新生の時から、あなたも私も、誰もが、霊的な理解と知覚と知識という能力を持つべきであり、それは、天の御国の外では誰一人、持っていないものです!このことに気づかず、また、この能力に頼って生きることをしなかったために、キリスト教に起こった悲劇がどれだけあったか、いくらでも語り続けることができます。あえて断言しますが、キリスト者のあいだに起こるもめごとの原因としてもっとも多いのは、霊的な理解、霊的な判断力、霊的な知覚、霊的な知識という基盤に欠けていた、あるいは、その基盤の上に生きることをしなかったことです。キリスト者の世界に、一般的な知識というものはいくらでもあります。聖書の知識、預言者としての知識、その他いろいろあります。それに対して、霊的な知識とは、めったに手に入らないものです。それでいて、霊的な知識とは、私たちの上からの新生をかたち作り、私たちが備え持つ能力となるべきものです。

さて、もしあなたが、『それなら、私は、もうだめだ、そのような知識など持っていないのだから!』と思っているなら、主はこう答えます、『見なさい、これは、あなたが生来、持っているものです。奮闘努力の末に手に入れるものではないし、何年にも渡ってキリスト者として勤勉に暮らすことによって、また、霊的な生活の中で、何か特別な行動をしたり、大きな変動が起こって獲得するようなものでもなく、この能力は、生まれつきのもの、生来、持っているものです。あなたには、これを受ける権利があるのです!』しかし、実はあなたはそのことを知っているのに、自分が知っていることに気づいていないのかもしれません!あなたの中には、新しい感覚、新しい能力、新しい『何か』があり、それによって、何が主から来ていて、何がそうではないか、何が霊的で、何が霊的ではないかを――完全ではないにしろ――判別できるようになります。しかし、ああ、どうしたらその力を強めることができるでしょう!この力を発展させ、強めることが、キリストの学校で行う修行です。私たちは間違いによって学び、つまずきによって学びますが、学んでいるのは客観的なことではありません。私たちが、心の内側で学んでいるのは、あれやこれは主にあるいのちのあり方ではないので、避けるべきであり、一方で、あれやこれは、間違いなく、主にあるいのちで、私たちが進んで行く道であるといったことです。私たちは、心の内側で学びます。それは新しい種類の知識です。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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