2020年12月3日木曜日

【Daily Open Windows】12月3日

十二月三日

私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。(黙示録二十一・二十二、二十三)

神の立場から、また、神の御心においては、すべてが天とつながり、天から支配されなければならないことは、明白ではないでしょうか?民に対する主の目的とは、天が満ちること、すなわち、人々を天的な民とし、また、ご自身の天的な豊かさで満たすことです。この書の最後で、新しいエルサレムが現れます――古いエルサレムではなく、新しいエルサレムです――大いなる豊かさの中、天から現れ、神から下って来ます。このエルサレムは、実に途方もない大きさ――都は四角で、その長さと幅は一万二千里あります(黙示録二十一・十六)。ここには、すべてが満ちています。諸国の民は、生きるために必要なものをすべて、ここから受け取るようになります。そこには、いのちの木の実、いのちの水の川が諸国民のために備えられています。その光は、すべての諸国の民のために注がれます。『諸国の民が、都の光によって歩む』(黙示録二十一・二十四)。これが天なる豊かさであり、主はずっと、このために働かれてきたのです。


主は今、あなたや私の中で働いておられます。私はときどき、私たちは、二つの人格からなっていて、ひとつはここに、もうひとつは天にあるのではないかと考えます。私たちは生まれたまま、ここにいるのですが、主が私たちの内に天からのものを差し入れるときに、内では私たちの何かが、常に『上がり続け』ます。それは、天に蓄えられてゆきます。主がご自身を、地上にいてさえ『天から下った者、すなわち、人の子』(ヨハネ三・十三)であるとされたとき、主が言わんとされたのは、これだったのではないでしょうか?私たちの中には、天で成長している側面があります。天をどこか遠くにある惑星のように思ってはいけません。私たちは、この天的な考え方の中で成長しています。私たちの何かが、『上って行く』のです。直面している状況は、あまりにも困難で、天を呼び入れることなどとてもできないと、あなたは言うのですか?困難な状況というものは、確かにあります。ダニエルの状況も困難なものでした――彼の三人の仲間たちも、厳しい状況におかれましたが、彼らは、天を招き入れました。ダニエル書に、すばらしい一節があります――『天が支配する』(四・二十六)。彼らは、それを証明しました。すべてを統括する場所は天にあります。バビロンでも、ローマでも、エルサレムでも、他のどこでもなく、天にあるのです。私たちが、天に向かって生き、また、天なる者として生きるように、主が助けてくれます。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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