2020年12月29日火曜日

【Daily Open Windows】12月29日

十二月二十九日

キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。(コロサイ三・十一)

愛する友よ、あなたがたが他の何よりも、願い求め、祈るものとは何ですか。私の場合、何にもまして、切に願うもの、心から祈るものとは、主イエス様を日々、新たに力強く捕らえること、キリストを心に捕えることです。ああ、主は私たちのいのち、私たちの救い主であり、とても大きな存在であり、そして、私たちが主なしでは生きられないということは、確かな真実です。それでもなお、この真実と、私が言うキリストに完全に捕らえられるということのあいだには、多少のずれがないでしょうか?主が生きる上での情熱であること、主こそが私たちの生活を支配する力であるということ。言葉では言い表せません・・・・主が私たちを捕らえたこと、これだけ完全に捕らえたこと、もはや主なしでは生きていけないとという意味で、主が私たちのいのちであるというだけではなく、主こそが生きていく情熱であるということです。このことばを書いた男のことを考えてみましょう。どのようにしてか、彼は、まずキリストを見たのであり、そして、長い人生を通じて、キリストのさらに多くの面を見続けて、最後には牢獄に入りました――この長い年月に渡って、彼の上には、数多くの恐ろしい試練と苦しみと逆境と悲しみと失望が投げかけられ、最後の時まで、ありとあらゆる困難を受けましたが、それでもなお、キリストは全てを超えるものでした。キリストは、まっすぐ上へと昇っています。すなわち、『キリストがすべてとなり、すべてのうちにおられるように』なるのです。ことばには限界があって、言いたいことを全て表すことができませんが、あえて言います、ああ、このキリストへの情熱がどこまでも前向きなことはどうでしょう。・・・・

こうして、あのただ一人のお方の栄光を見ること、捕らえること、掴むこと、そして、その栄光に支配されることのすばらしさ。私たちは、神の恵みによって、そのお方と結び合わされ、御子、イエス・キリストとの交わりの中へと召されたのです。主の栄光を知っていること、主の偉大さを信じていること、私たちが主の栄光から生まれる何かを経験したというこの事実が、頭でキリストを理解するだけでなく、それ以上のものを与えてくれますように。頭だけではなく、それ以上に心のすべてが、このお方、イエス・キリストに支配され、そして、私たちが、礼拝と感謝の中で、主の哀れな奴隷となることができますように。主はこれほど偉大な方です!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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