2020年12月28日月曜日

【Daily Open Windows】12月28日

十二月二十八日

私にとっては、生きることはキリストです。(ピリピ一・二十一)

これが、あらゆるものを捕えるキリストの良い知らせです。キリストが人を捕えるとき、あらゆることが起こるし、どんなことも起こり得ます。パウロや他の人たちにも、このようになりました。キリストが、ただ彼らを捕らえたのです。彼らが生きていく上で、キリストの他には何も思わないようになりました。彼らにも、この世では、自分の職業、仕事、与えられた役割があり、それぞれの人生と生活の歩みがあったでしょうが、彼らの考え、願い、関心の全てはただひとつのこと――キリスト――で占められました。彼らの中で、キリストが全ての上に置かれてました。他には言いようがありません。主が彼らの心を捕えたのです。そして、愛する友よ――単純すぎるように聞こえるかもしれませんが――これで全てが説明できます。これでパウロのことも理解できます。・・・・信者たちのことが理解できます。彼らのお互いへの愛も理解できます。これが全ての問題を解決し、あらゆる困難を拭い去りました。ああ、これこそ、私たちに必要なことです!あなたと私がこのようになり、本当の意味でキリストに捕えられさえすれば!うまく伝えにくいのですが、この真理を見た時――この真理を見て、読んで、それについて考えたとき――私は自分の内に何かが入ってきた、言葉では説明できない何かが入り込んできたことを感じました。結局のところ、私たちが直面する十の問題の九までは、私たちが個人的な関心事に影響され、支配され、制御されている――生活の中にキリスト以外の側面がある――という事実から始まっていると考えることができます。キリストが本当に、私たちを捕らえ、心の全てを奪い、支配し、そして――敢えてこの言葉を使いますが――キリストが強迫観念、輝かしい強迫観念にまでなってくれたら!

そうなったときこそ、私たちは喜びに満たされます。そのために、何かを『手放す』ことになっても、後悔はありません。私たちは喜びに満ち、勝利に満ちています。敗北主義の精神はどこにもありません。そこにあるのは、大きな勝利の喜びです。いのちに対するキリストの勝利です。そう、これまでもそうであったし、そうであったからには、これからも同じことが起こりえます。しかし、そのためには、頭で推し量るだけでは十分ではなく、それ以上のものが必要です。私たちは、大切な点をすぐに見失ってしまう者です。人は、言葉や考え方に感心し、それを聞いて、何と美しい表現だろうと感極まってしまうことがあります。しかし、ああ、私たちに必要なのは、完全に捕えられることによって、自分自身――自分の評判、自分自身と自分の栄誉に関わるすべて――を消し去っていただき、それによって、私たちを捕えるただ一人のお方だけを見つめ、この方だけが誉れを受けて、私たちはただ、その足下にひれふすことです。これこそが福音、良い知らせです――キリストが真に人を捕える時、この手紙に書かれていることが起こり、本当に、それが実現するのです。神の愛する御子が人生を捕えてくださるよう、主に求めたいと思いませんか?

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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