2020年12月21日月曜日

【Daily Open Windows】12月21日

十二月二十一日

その名は「神のことば」と呼ばれた。(黙示録十九・十三)

全てをつかさどるただひとつの事実が、時代を超えて貫かれています。キリストが、神の全ての考えと方法の中におられるという事実です。これは、全てを包括することばです。あらゆる時代を通し、神のすべての願い、神が取られる全ての方法において、キリストが中心であり、キリストこそすべての上に立つものです。全てのものが主と関わり、全てのものが主とつながっています。キリストは最後であり、それは、キリストが最初であったからです。もし、神のそばに立って、神の目を通して見ることができ、そして、神と同じ考え方に支配されたら、神にはただひとつの願いしかないこと、そして、その願いがあらゆる時代を通して、人、国々、そして、世界に対する主の働きを動かしていることに気付くはずです。そのただひとつの願いが御子、イエス・キリストを中心としているのですから、主のみ言葉と行動に現れた、神の願いと方法の中にキリストを見いだすことこそ、啓示の本質、そして、霊的な啓発の中核であるということになります。

『啓示とは何ですか、霊的な啓発を受けるとはどういうことですか?』という質問への答えはこうなります。すなわち、それは、あなたが、次第に深まる生きた見方で、キリストを中心においた神の考え方を知るようになることです。別のことばで説明すると、これは、あなたがキリスト、キリストのいる場所、宇宙におけるキリストの意味を、ますます深く理解できること、そして、この宇宙をキリストの光の中で読み解き、説明できること、そして、私たちの生活の中の神が行うことのすべてが、どこかでキリストとつながっているということです。もし、このことが、世界全体で真実であり、神がつかさどる至上の真実であれば、また、この宇宙全ての歴史全体を通して真実であるのみでなく、人間の生活の中でも同じく真実と言えるのであれば、それは、おそらく、神の願いを表したみ言葉の中において、もっとも本質的な真実なのです。すなわち、この啓示、霊的な輝きとは、神のみ言葉の中でキリストを見ること、真実ではなく、教義ではなく、キリストを見ることです。・・・・そのためには、常に問い続けることが必要です。このこと、あのことは、どんなふうに、キリストにつながるのか?このことは、日々の経験の中、どのようなかたちで、キリストが盛んになり、キリストの知識が増えることにつながっていくのでしょうか?私たちは、キリストから来るものを探しています。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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