2020年12月30日水曜日

【Daily Open Windows】12月30日

十二月三十日

私は見た。見よ。天に一つの開いた門があった。また・・・、あの声が言った。「ここに上れ。・・・あなたに示そう。」(黙示録四・一)

主とともに働く私の目的は、すべてのことをはっきりした現実として示すことです。だからこそ、私たちは、すぐにこの問いを投げかけて尋ねます、あなたの内住の御霊は、神の完全さを御子の中に、ますます強く表していますか?それが、あなたの霊的な生活の性質になっていますか?もし、そうでなければ、あなたは主の前に行き、それを正すための訓練を受けなければなりません。何かが間違っているからです。これが油を注ぐことの意味であり、あなたの霊的な生活がこのような性質のものでなければ、あなたの場合、油注ぎのことで、何かがおかしくなっています。主イエス様は、ナタニエルに言いました、『天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます』(「いまに」に当たる「henceforth」は古い英語では「hereafter」ですが、多くの人はこれを、誤って「死後」と捉えています)。もちろん、「いまに」(hereafter)とは、文字通り、直ちにという意味であり、すぐそこまで近づいていた聖霊の日のことでした。天が開けるのを見たら、神が御子に何をさせようとしているのか、それをあなたは、知ることになります。

主イエスのために天が開かれたこと、それこそが油そそぎでした。御霊がくだり、主に光を当てられたのです。それは油そそぎだったのであり、私たちにとっても同じです。五旬節の日以来、開いた天とは、私たちの中にいるキリストの上に御霊を注ぐことに他なりません。この開いた天とは、絶えず広がり続けるキリストの啓示を意味しています。

ああ、これだけは言わせてください。私はこれを言うために戻ってきたのです。・・・・開かれた天は、キリストの中にこめた神の啓示に触れられるように、あなたの扉の前に届けます。そのとき、あなたがまず第一により頼むのは、図書館、本、講演などといったものではなくなります。それは、あなたのために、すぐ目の前にあるのです。上で挙げたようなものどもを、主がどれだけ、あなたを助け、強めるために役に立つと思われようとも、あなたには既に、自分だけの開かれた天、自分だけの開けた道があり、頭上を覆い隠す天蓋はもはやありません。主イエスは、あなた自身の心の中で、これまでになかったほど、すばらしいものとなってゆきますが、これは、『「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださった』(第二コリント四・六)からに他なりません。

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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