2020年12月19日土曜日

【Daily Open Windows】12月19日

十二月十九日

さて、イエスは、朝早くまだ暗いうちに起きて、寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。(マルコ一・三十五)

私の意見に、主の民なら、ほとんどが賛成してくれると思います。すなわち、祈りにとりかかり、そして、自分自身を祈りに捧げることは、もっとも難しくはないにせよ、非常に難しいことのひとつです。祈りのことでいろいろと考えようとすると、たくさんの思いがけない、予測すらしなかった困難が湧き上がり、待ち伏せしていた部隊のように突然、襲い掛かってきます。祈りを妨げるものはいくらでもあります!私は、あなたが知らないことを教えているのではなく、こう言っているのは、このことを明白に、間違いなく、注意深く、心にとめてもらうためであり、また、祈りを阻害するものは、生活の中に普通にあるのではなく、敵が計画し、巧妙に仕掛けた罠であるという事実と向かい合って欲しいからです。この敵は、祈りに対抗するのではなく、主のための何千という仕事を押し付けて、祈りの時間を失わせようとと目論みます。敵は、私たちが忙しく、主に奉仕したり、また、説教をしたり、会合を持ったり、また、生活の中で、主の働きをしていると言いながら、あちこち駆け回っていても気にかけません。どれだけ主のための働きをしても、勝利に満ちた霊的な祈りを土台としていないなら、長い目で見れば、ほとんど、あるいは、まったく意味がなく、いずれは崩れ去ることを、敵はとてもよく知っています。あえて言いますと、あなたが奉仕することを、この敵は嫌がりはしません。主のためにどれだけ奉仕しても、祈りをなおざりにすれば、大した成果はあげられません。敵の巧妙な戦術のひとつは、私たちを主のこと、主のための働き――と自分では思うもの――で、いつも忙しく、手一杯で、息をつく間もないほど働き詰めにして、祈る時間が失われ、ほとんど時間が無くなることはなくても、働きの合い間に限られてしまうように仕向けることにあり、そして、主はこんな言い訳を、絶対に受け入れません、『主よ、私は、あなたのために尽くすことで手いっぱいで、祈っていられません。』主は、このような態度を好まれません。・・・・

もっと祈りに満ちた生活を真剣に考え、求め始めると、敵はすぐに、新たな計画を実行に移して、あなたを、より忙しく、手いっぱいにしようと試み、祈る時間と機会を全く持てないように、山のように仕事を積み上げ、たくさんの要求を押し付けてきます。・・・・しかし、この敵は、責任、義務、そして、良心について、巧妙に人を悩ませて、祈りを止めようとすることに気付いてください。そして、祈りが徹底的に排除され、あるいは、限られた場所に押し込められて、霊的な進歩と勝利の人生を送るためにまったく役に立っていないことに気づいたら、こう言わなければなりません、『主よ、私は祈るあいだ、あなたに全てをおゆだねします。私の心が外にさまよい出て、間違ったことが起こらないように、あなたが助けてくださり、そして、この祈りの時間――あなたの栄光を求めるこの時間――に、敵が入り込まないように守ってくださいますように。』

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

0 件のコメント: