2020年12月7日月曜日

【Daily Open Windows】12月7日

十二月七日

これによって聖霊は次のことを示しておられます。すなわち、前の幕屋が存続しているかぎり、まことの聖所への道は、まだ明らかにされていないということです。・・・キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所にはいられたのではなく、天そのものにはいられたのです。(ヘブル九・八、二十四)

神との交わりとは、このようなでなければなりません。すなわち、集まりに行くことができても、できなくても、私たちには主がいます。たましいに心地よい音楽が聞こえても、聞こえなくても、主がいます。あなたたちは、そのようなものに左右される世界にはいません、『この山でもなく、エルサレムでもない・・・。』煉瓦と漆喰は、霊と語り合うことはできません。人間のたましいは、神とひとつになった霊という乗り物を通して初めて、神と語り合うことができます。これこそ、主の十字架がなしとげたことです。なぜ、十字架が伝える真実が受け入れられないのか、あなたにもこれで、理解できるはずです。・・・・そして、この十字架を述べ伝え、そして、十字架のために立ち上がろうとするなら、それは歴史を通して継承されてきた伝統を完全に断ち切ることになるため、あなたも宿営の外に追いやられてしまいます。しかし、それ以上に恐ろしいことがあります――すなわち、神聖と映る表現、または、典型的な地上の制度を神が拒絶すると、サタンがそれを拾い上げて、うまく利用し始め、また、神が一時的な目的のために地上にもたらしたものを、サタンは、横から捕らえて、神との本当の交わりの性質を覆い隠すために用いてきたのです。


さて、お分かりと思いますが、私は、世の制度の中に、今、霊的な人はどこにもいないと、言っているのではありません。私は、そんなことは言っていません。私が言っているのはこういうことです。すなわち、もし、上で書いたようなことが、ある人々にとっての霊的な生活を表しているなら――彼らがこのようなものを強く求め、このような世界に住み続け・・・そのために、先を見通すことなく、その世界から離れることができなければ――その場合、彼らは、主の磔刑の意味を見逃したのであり、また、十字架にかけられたキリストのすべての意味――神の知恵と力――をも見逃すことになるのです。世を支配する権限や力を組み伏せるためには、形式的な制度よりも大きなものが求められます。ご承知のように、私たちはたいへんな仕事に直面しています。私たちは、霊的な敵対者と向かい合っており、それは非常に強大で、対抗するには、霊的な位置に立たなければなりません――それ以下のものでは無理です。私たちは、主が備えられた最上、かつ、最良の位置に着くことを望んでおり、それより劣るものは欲しくありません。おもちゃ、絵本、図解、記号、形式などは、知性のない子供たちのためのものです。こういったものは、神が現れて、子供たちではなく、息子たちを持つときが来れば取り去られます。そして、子供と息子はあらゆる面で違っています。こうして、主の十字架が、神との関わりのないものばかりが集まった幼稚園を退け、天の秩序の豊かさをもたらして、私たちを成熟した神の息子に作り変えてくれます。私たちもそのような者でありますように!

Daily Open Windows ―― T・オースティン-スパークス

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